2003/06/21

たわいもない1日


 散歩をする。

見慣れた路地を歩いては、終わりのない倦怠をもてあます。
車の音、工事の音、子供たちの音、風が通り抜ける音、世の中の音の洪水。迫ってくる世の中との距離、そこにあるのに触れられないような違和感。自分の皮膚の周りに分厚いオーラが取り巻いて、外界を遮断しているようなブヨブヨとした感覚。そんな感覚をを面白がってゆっくり堪能しながら散歩をする。

太陽の光は茂った街路樹のフィルターがかかり、キラキラの小さなたくさんの光となって降りかかってくる。橋を渡る、このあたりは水路だらけの橋だらけ、そしてまた橋を渡る。何年も放置された死体の様に朽ちて水没した船の残骸の上を渡る。浮浪者の黒い影を視界の隅に認める。きっと私の知らないどこかで誰かが死んでいく。

2003/06/14

僕らはみんな惨劇を待っている


陳腐で薄っぺらな平和の影に潜む「崩壊」は陰惨で目もあてられない。終わりのない作り物の表面的な退屈な平和の欺瞞に息を潜めて時をやり過ごす。身も心も肉塊も唾液も精液も吐瀉物も糞尿もバクテリアも存在してないかのような清潔を保つ。嫌悪感が嘔吐を催しやがては悪意と化して「それ」が澱のように少しずつ少しずつ確実に私達を蝕んでいく。感受性の自由を、表現の自由を3歳児の頃に見事に奪われて以来、自身すらも滑稽な唾棄すべき存在としか映らない。

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